空は、真っ赤に染まっていた。 山の木々も夕日に照らされていつもと違う表情を見せている。 志々雄 真実と瀬田 宗次郎の二人は草木を掻き分けながら山奥の獣道を歩いていた。 なぜなら、志々雄は元政府の反逆者として、各地に知れ渡っているからだ。 幕末で暗躍する人斬りとして政府の下で働いたが、 その力、野望に恐れをなした政府に暗殺されかけた。 額を強打され、 油をかけられ、 焼かれた。 だが、死ななかった。 長身痩躯の全身包帯の男。 そこそこ規模が大きい町なら、こんなお尋ね者の立て札があるらしい。 そんな人目を引く志々雄が街道など歩けるはずもない。 また、傍を歩く幼い宗次郎も身寄りがなく、志々雄についていくことに決めた。 義父母・義兄弟に日々虐待され、殺されかけたそのときに、 志々雄から譲り受けた脇差で 全員 殺したから。 だから身寄りなんて、もうない。 結局二人とも追われる身なので、人気のなさそうな山道を歩くことになった。 もうどのくらい歩いただろうか。 足が、肩が、重い。 手が、脛が、痛い。 疲れきった体に鞭打って、宗次郎は必死に志々雄について行く。 持ち前の足腰の強さも、今となっては意味を成さなくなっていた。 石で切ってしまったのか、その小さな足は血で滲んでいる。 だんだんと離れていく志々雄に少しでも追いつこうと 走り出した、そのとき。 ―あれ? 目に映る景色が、揺れる。 そして宗次郎の目の前が真っ暗になった。 「ん・・・?」 見知らぬ風景が目の前にあった。 今にも崩れ落ちそうな朽ちかけた板張りの天井。 頭を動かさずに目だけをきょろきょろと動かしてみる。 全体的に暗くて、なんだか湿っぽい。 周りには小さな箪笥と仏壇、壁に時計がかかっている。 ―それだけしかない。 それとは対照的に宗次郎はふかふかの柔らかい布団に包まれていた。 雨で湿っていた自分の着物も、乾いた紺の着物に着替えられていた。 心地よく暖かい空間にしばし心を奪われ、宗次郎はもぞもぞとまた寝ようする。 ―あれ? 自分はさっきまで山道を歩いていたはずなのに・・・? はっと思い出して重い体をできるだけ素早く起こすと、 額からぱたりと濡れた手ぬぐいが落ちた。 辺りを見回すとすぐそばで手ぬぐいを濡らしている女性がいた。 宗次郎が起きたことに気が付いたのか、こちらを振り向く。 「気が付いたのね。よかったぁ。熱は、どう?」 腰まである綺麗な黒髪をさっぱりと結ったその女性は 二十三・四歳くらいに見えた。 大きくて澄んだ瞳に長い睫毛。 鼻筋もすっきりと通っていて、肌は雪のように白い。 今まで見てきた中で、一番綺麗な人だと思った。 ほっとしたように胸を撫で下ろし、 柔らかい笑みを湛えながら宗次郎の額に手を当てる。 ―暖かい。 体は火照って熱いはずなのに、その女性の手の暖かさがなぜか心地よかった。 「まだあるみたい・・・。何か食べれそう?」 心配そうに女性がそう尋ねたのと同時に宗次郎の腹が大きく鳴った。 たまに嫌になるほど体は正直だ。宗次郎の頬に熱とはまた別の赤みが差した。 「ふふっ。食欲は大丈夫ね。待ってて、すぐおかゆ作るからね。」 結局何がなんだか分からないまま、その女性はぱたぱたと行ってしまった。 ―そういえば志々雄さんは・・・? ふと思い出したようにきょろきょろと連れ立っていた男の姿を探す。 ―いた! こぢんまりとした部屋の隅の宗次郎の後ろで、片膝を立てた姿勢で座っていた。 少し不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。 「てめぇ今思い出しただろ、コラ。」 宗次郎は頭の後ろをぽりぽり掻きながらバツが悪そうな顔で謝る。 「えへへ、すみません。それよりあの人は?」 「ああ、お前あの後倒れたんだよ。で、お前をおぶってしばらく歩いてたら―」 近くの茂みがらあの女性が出てきた。 キノコやら山菜やらを採っていたのだろう。 背中にはその小柄な体には不釣合いな大きなかごを背負っていた。 姿を見られたからには口を封じなければいけない。 山奥とはいえ、この女がいつ誰に話してしまうか分からない。 志々雄たちには少しの情報も命取りとなる。 そう思ってはいるものの、志々雄は わざとすぐに殺さず、相手の様子をしばらくじっと見ることにした。 すると女性はしばし志々雄の姿を見るなり、大きな目をさらに大きく見開いて、 「まぁ!!」 と小さく叫んだ。まあ、それなりの反応だろう。 だが、その目に映っていたのは恐怖では無かった。 なんと志々雄のそばに急いで駆け寄ったのだ。 「大変!!あなた、すごい火傷じゃない!!!」 と、包帯だらけの体を驚きながら見る。 そしてその背中でぐったりしていた宗次郎に気付くなり、 白い顔がさらにさぁっと真っ青になった。宗次郎の額に手を当てる。 「ちょっと!この子、すごい熱!!」 そして慌てて志々雄を引っ張って自分の家まで連れてきたのだそうだ。 「―で、お前は丸二日寝てたってわけだ。」 「僕、そんなに寝てたんですか?」 「ああ、ちょっとやそっとじゃ全く起きなかったぜ。」 にやにやしながら志々雄が言う。 ―ちょっとやそっと? 一体自分が寝ている間に何が起こったのだろうかと 宗次郎が首を傾げていると、ふいに志々雄が話題を変えた。 なんでも女性の名前はというらしい。ここに一人で住んでいるという。 「へぇ・・・志々雄さんが殺さないなんて珍しいですね?」 不思議そうにまた首を傾げる。 今までは姿を見られたら女子供容赦なく殺していたのに。 そうでなくとも食べ物や水・衣類などを手に入れる為に 盗賊まがいの殺戮を繰り返していた。 それが普通だった。 「まあ、この俺を見ても恐れない奴は初めてだからな。面白い。」 くくっと志々雄が笑う。 「それにお前もすぐには動けねぇし、しばらく厄介になることにした。」 そう軽く言い放つ志々雄に宗次郎は不可解そうな目を向ける。 ―ほんとに珍しい・・・。 とりあえず雨風をしのげる場所と食料の心配は無くなったものの、 宗次郎はあまり人に世話になることに対して乗り気ではなかった。 最初は親切でも、どうせすぐ疎まれるに違いないし、 人間なんて、そんなものだと思う。 それは今までの人生から痛感している。 付き纏う生温い空気も 容赦なく降り注がれる氷雨も いらないし 鬱陶しいし 邪魔で 痛いから あの冷たい視線と胸に突き刺さるコトバの数々を また味わうくらいなら 自分は所詮、余所者だと 改めて確認するくらいなら 迷わずこの手を赤く染めることを選ぶ。 そう決めた。 しばらくたった今も どうも落ち着かない。 はやく、 ここから出たい。 あまり人と関わりたくない。 もう、これ以上― ざわつく心を必死に抑えようと つくり笑顔を浮かべようとした、その時。 がっしゃーん!!! ぼてっ。 ―!? 宗次郎と志々雄が驚いて台所の方を振り返ってみると、 ありえない色の不気味な煙が台所からもくもくと立ち上っている。 しかも、ものすごい異臭がこちらまで広がってきた。 「げ・・・。」 志々雄が顔をしかめる。 「あの・・・志々雄さん?お粥の材料って、確か・・・お米とかでしたよね?」 「ああ・・・。まあ他にはせいぜい卵くらいだろうな・・・俺の知ってる限りでは。」 「じゃあ、あの煙と臭いは・・・?」 一体、何をどうしたらこんなことに・・・!? 「お前は寝てて全く気付かなかったみてぇだが、は」 「きゃぁー!!!!」というの悲鳴が聞こえた。 料理が駄目なんだ。 「全くアレでよく起きなかったな、お前。感心するぜ。」 ―意識無くてよかったっ・・・!!!(by宗次郎) そしてその後数えること五回、あの明らかにおかしい臭いと煙を発生させ、 台所からが戻ってきた。 「お待たせ。ごめんね、遅くなって。お腹すいたでしょう。」 顔を引きつらせている宗次郎と志々雄に対し、 当のは満面の笑みで彼女曰く「お粥」と呼ばれるものを差し出す。 しかしその手に抱えている小さな土鍋の中は 意外にもごく一般のお粥のように見えた。 ―アレが一体どうなってコレになったんだ!? 本気で頭を抱えている宗次郎は事件現場である台所をちらりと見る。 宗次郎の視力は、割れた土鍋の底にこびり付いている 奇妙な色のお米の成れの果ての姿を決して見逃さなかった。 うわぁ、見るんじゃなかった・・・。 しかし、台所の流しに積まれている大量の失敗作も見えた。 ふとを見ると、その手はやはり火傷やら切り傷やらでボロボロになっている。 宗次郎はそんな彼女を見ていると、なんだか食べないわけにはいかない気がした。 意を決して口に入れてみる。 「おいしいっ・・・!」 思わず顔が綻ぶ。 さっきの異臭や煙はなんだったのかと思うほどに お粥は上々の出来だった。 それはここ数日(といっても寝込む前の話) ロクなものを食べていなかった宗次郎の胃袋にとって有難かった。 様子を見つめていたの顔も綻ぶ。 「ほんと!?よかったぁ〜!お粥なんて久しぶりに作ったからどうも心配で。」 そう微笑むを見ていると 心に染みていくような でも、嫌じゃない 今まで生きてきて一回も抱いたことの無い感情 それが何なのかよく分からないけど そんな感情が自分の中に生まれていたことに 宗次郎は戸惑っていた。 よろしければ是非小説の続きを見てやってくださいm(__)m 2007.7.22 |