別れに結んだあの約束は


ただひたすらに孤独に耐える私の


たった一つの支えでした

















貴方は、憶えてますか―・・・?



















                   約束























総司と会えなくなってからもうすぐ一年。

季節は巡り日増しに涼しくなって、風も秋の匂いがしつつある。

流れるように形を変えていく雲を眺めながら、箒を持った手に力が篭っていた。

葉も色付き、すっかり秋の装いになった殺風景な庭とは対照的に、

そこを掃いている自分の心は期待や緊張のようなものが渦巻いていた。



「(もうすぐ・・・)」




もうすぐ、総司に会える。
























大急ぎで一通り仕事を終えて与えられた部屋に戻ると、

部屋の隅にある予め用意をしていた荷物を引き寄せ、門へと向かった。

両脇に立っているいかにも厳しそうな門番が、通り過ぎようとした私をじろじろ見ている。

敷居を越えようとしたまさにその時、ひゅんっ と音がしたかと思うと私の目の前に刀があった。



「何処にへ行く。」

「実家に帰るんです。旦那様には許可を頂いています。」



顔には出ないよう、できるだけ平静を装ってそう伝えた。

奉公人として私が潜入しているここの主人には、一応三泊四日の休みを貰っている。

人のいい主人という皮を被っているその男は、奉公人に対しても自分を偽ったままらしく、

休みが欲しいと申し出た時も、愛嬌のある笑みを浮かべてあっさり快諾してくれた。



しかし事情を話しても首元に突きつけられている刀は一向に鞘に納まる気配はない。

早く、此処を出たいのに。一刻でも早く、総司に会いたいのに。

冷たく光る刀身をじっと見ているとそんな言葉が頭に浮かんでくる。

今度は恐れを通り越してだんだん苛立ってくるのが分かった。


「あの・・・まだ何か?」


急かすようにそう言うと、門番の口端が不気味につり上がった。

もう一人も同じように顔を歪んだ笑みを浮かばせている。



「残念だが、俺達はお前をここから出すわけにはいかんのだよ。」



「何故・・・!?」



想定外の返答に、思わず言葉が口から漏れる。

私を出すわけにはいかない?

混乱している頭の中で復誦する。


全身の血の気が引き、すぅっ と背筋が凍った。



まさか。













「旦那様の命令だからさ。」





































既に日は暮れ、闇が辺りを飲み込んでいた。






埃っぽいの部屋に唯一つあるほんの小さな窓にしがみ付いた。

皮膚が裂け、血が滲んだ手で必死に格子を握る。

叶う筈もない願いを口にしながら、それでも。


『次の十五夜には必ず戻ってきてください。約束ですよ。』


願わずには居られなかった。

誰も叶えてはくれないと分かっていても。

もう叶わないと頭で理解していても。


「ねぇっ・・・。出してよ・・・。」


見開いた目から冷たいものが頬を伝った。

それが涙だと分かるのにどれくらい時間を要しただろう。

独りでに次々と溢れ出して、冷えた床に染みをつくっていく。



『そしたら今度は一緒にお月見しましょうね。』



見上げた漆黒の空には、滲んでぼやけた光が見えた。

今頃、あの懐かしい場所で見る筈だった月が

あれ程彼と一緒に見たいと願った十五夜の月が

ただただ静かに、辺りを照らしていた。



『もちろん、二人でですよ。』



「・・・総司ッ・・・!」




ごめん。



あの言葉に嘘なんて無かった。



ごめんね。


この空の先に居るであろう彼の人に、謝罪の言葉を繰り返すだけ。

これから私がどうなるかなんて、外の人間の会話からある程度は察知できる。

それでもここから出る術を持たない私は、ただそれを待つのみ。


もう総司と会うことは叶わない。


本能がそう言っている気すらした。


墨を零した様な夜空に、煌々と月が自らの存在をしらしめる。






次に彼と会うのは此処では無い。












空を仰ぐのを止め、仰向けに倒れると自分の荷物が目に留まった。

部屋の隅に無造作に投げ捨てられたそれを、何の意も無く虚ろに見つめた。

すると、窓から細く入ってきた淡い月光に照らされて、何かが仄かに浮かび上がる。



短刀だった。



奴等は、たかが女間者の荷物、中までは気にも留めなかったのだろう。

導かれるようにしてずるずると重い体を引きずり、紅い紐で結んである柄を掴む。

小振りながら手に沈む短刀の滑らかな刀身には、蒼白な顔が映し出されていた。


『何があるか分かりませんから。持って行って下さい。』


彼が唯一持っていたものだった。

いざという時の為だからと言って持たせてくれたものだったけど。

でもそれも、もう必要無い。











一筋の希望が、頭をよぎった。

脳内を駆け巡り、詰まった思考はさらさらと砂になる。

代わりに、光が見えた。

真っ直ぐでいて、歪すぎる希望。

薄明かりすらない闇に僅かに差し込むその希望に、

私が手を伸ばさない筈は無かった。







我ながら馬鹿な考えだと自嘲したけど

それでもあの人の笑顔が頭から離れなくて。

おもむろに零れた笑みは、多分後者によるものだろう。





もしかしたら、総司に会えるかもしれない。





短刀を逆手に持ち替え、左の首筋に宛がう。

そっと瞼を閉じると、ひんやりとした感触がやけに心地よかった。




































「総司!!!!!!!!」


会いたくて、会いたくて、仕方の無かったその人が目の前に居た。

屯所の門に背を預けていた彼は、驚いて闇の中にきょろきょろと声を探している。

ふと、月にかかっていた雲が晴れ、足元からだんだん明るくなった。


さん?さんですか!?」

「総司!!!!」

さん!!!」


声の姿を認めた彼は、喜色を満面に湛えて何度も私の名を呼んだ。

何だか耳がくすぐったくて、無意識に耳の髪の毛をいじる。


胸が潰れそう。

ずっと、そんな風に名前を呼んでくれることを望んでた。

ずっと、その無邪気な笑顔に会いたかった。

この時の為に、今まで生きてきた気がした。


ほっとした瞬間、目頭が熱くなって慌ててゴシゴシ目を拭いた。

そんな私を見て、総司は目を細める。


「ご無事で何よりです。さあ、外は冷えますから中に入りましょう?」

「ううん、いい。」

「何でですか?皆待ってますよ。」

「だって、今日は総司と二人だけでお月見するって約束したでしょう?」


そう見上げると、総司は一瞬虚をつかれたような顔になって、それからいつもの優しい笑顔を向けた。


「そうでしたね。じゃ、行きましょうか。」









懐かしい屯所を後にして、煌々と月の照る夜道を二人で歩いた。

いつも総司が非番の時、今日みたいに二人で歩いたこの道は一年前と何も変わってはいなかった。

川原に揺れる涼しげな柳の木も、ぼうっと浮かぶ家の灯りも。

姿を見つけては寄ってくる近所の犬も、纏わりつくひんやりとした空気も。

そして、いつも右側に歩く総司の涼しげな横顔も。

何も、変わってはいなかった。

待っててくれた。

そんな風に思えて、仕方が無かった。







「わぁ・・・!!」


『あの所』を前にして、思わず声が漏れた。

朱塗りの鳥居が緑に映えて一際目立つ、屯所の近くの神社の境内。

本殿までの石畳をゆっくり歩いて、賽銭箱の前の階段に腰掛けた。

ふう と小さく息を吐いて空を仰ぐ。

開けた空のちょうど真ん中に、ぽっかりと月が出ていた。


「懐かしいな・・・。一年振りだもんなぁ。」

「本当に長かったですよ、この一年は。何度土方さんにキレかけたか分からないですよ!」

「あははっ!!!」


ぷくっと頬を膨らませて文句を言う総司は一年前と全く変わらない。

これからも彼は彼であり続けるのだろう。誰にも、何にも流されることなく。

そんな彼を羨ましいと思う気持ちなど無く、むしろ嬉しく思った。

私は、こんなにも変わってしまったけれど。

もう少し経てば、この景色も街も、世界も同じように変わってしまうのだろうか。


「・・・?私の顔に何か付いてる?」


ぼーっと月を見ている私をじっと総司が見つめていた。


「寒くないですか?こんなに薄着で・・・風邪ひきますよ?」

「大丈夫大丈夫!」

「わっ!冷えてるじゃないですか!!!」















暖かく包み込んでくれる総司の手は


太陽みたいだな、って思った。


































「・・・ね、総司。一つだけ、お願いしてもいい?」

「?どうしたんです、いきなり。」

「聞いてくれる?」


いきなりの頼み事ににきょとんとして、それからすぐにあの微笑を浮かべた。


「・・・?ええ、いいですよ。」


珍しいですねと呟いた総司の目にはまだ疑問の色が残っていた。

それでも微笑む総司に胸が潰れそうになって、息苦しさを感じた。























そんな顔、しないでよ。辛くなっちゃうから。























置いて行くのに、こんなのは我侭過ぎるって分かってる。

ずるいね、私は。

今まで数え切れないほど貴方には我侭を言ったのに。

まだ言うのかって失笑されるかもしれないけど、でも。

でも、許してね。



































これが、私の最後の我侭だから。




































「・・・忘れないで。」
 


























思い出さなくてもいいから、忘れないで。




貴方が歳をとって、周りも面影も無く変わって。

でも、それでも確かに在り続けるものがあるなら




消えないものが在るなら





























お願い、私がいたってことを







































「・・・忘れないでね・・・」







































最期に貴方に逢えて良かった




























最期に映るのが貴方の優しい笑顔で良かった







































「さよなら」

















































ずっと、忘れないよ





















                 2007.11.15