貴女に会った日のことは、今でもありありと思い出せる。

それはひどく穏やかで、優しい時間。











一年前の同じ季節。貴女は私に向かって、こう言った。

「桜、綺麗ですね。」

それは同じように隣で眺める人間に放った、何気ない一言なのに。

「ええ。」

気になった。

その言葉でも、その容姿でもない、貴女自身。




「・・・貴方はこうやって咲き誇る桜と散りゆく桜、どちらが好きですか?」












































川沿いの満開の桜並木の下。私達が出会ったのは、確かに偶然だったのだろう。




でも、桜に見入る一人の新撰組と一人の娘の目が合ったとき。


貴女が柔らかく微笑んで私に話しかけたとき。




























それは運命で、必然だった。

信じたい想いと、信じたくない冷酷な真実。



































私と貴女は、必ず会う筈だったのだと思い知らされる。







・・・初めから、絶対に。







































              零れ桜
       














淡い世界に佇んでいた貴女はとても綺麗で、私は声を掛けるのを少し躊躇った。

あまりに景色に溶け込んでいたから。

それは一枚の絵の様に、まるで貴女の為に誂えたような見事で完璧な風景。

在るもの全てが何らかの意義を持ち、小さな花びら一枚とて無駄なものは無いように思えた。

踏み込んではいけない領域、とでもいうのか、触れられないような雰囲気さえ持っていた。


・・・それでいて儚く、花弁を散らす春風にかき消されてしまいそうだった。





さん。」


しばしの間目を奪われていたが、思い切って声を掛けた。

彼女は驚いたように振り返り、そしてすぐにいつものように駆け寄って微笑んだ。


「沖田さん!今日は非番なんですね。」


思わず自分の頬が緩んでしまうのが分かる。


「ええ。ですから―・・・。」

「甘味処に行きませんか?・・・でしょ?」


私の言葉の続きを言うと、ふふっと得意気に貴女は笑った。


「もうっ!先に言わないでくださいよー。」

「だって沖田さんいつもそう言うじゃないですか。」


考えなくても覚えちゃいましたよ、と。


「じゃあ話は早いですね。どうですか?」


特に何も用事は無さそうだ。


「もちろん行きますっ」


威勢のよい返事とともに、貴女は花が綻んだように笑った。














「美味しいですね〜!」


私のの隣で貴女は団子を幸せそうに頬張っていた。


「ここのお団子は癒されますねー。」

「でもいいんですか?奢ってもらって・・・。」


一本食べ終わってから、彼女が申し訳なさそうに呟く。


「いいんですよ、私がそうしたいだけですから。さんにはいつもお世話になってますしね。」

「そんな、小姓なんてあまりお仕事無いのに・・・。」

「それに、私はこの時間が幸せですからv」


すると貴女はは少し目を見開いて、くすっと微笑んだ。


「沖田さん甘いもの好きですもんね!私も好きですよー。」





何故か貴女の隣で食べる団子がやけに美味しいことも、

貴女との他愛もない会話が終わって欲しくないと思うことも、

貴女は知らない。

本当は甘いものを食べているからではなく、

貴女とこうして一緒に居られるこの時間が、

幸せなのだということも。






「沖田さん?」


気が付くと貴女は私の顔を じぃっ っと覗き込んでいた。


「あっ、ええ。はい。」

「どうしたんですか、ぼーっとして。お団子、食べちゃいますよっ。」


悪戯っぽく笑うと、彼女は手に持っていた串を皿に置いた。







どこからか、ひらひらと春風とともに白いものが舞い降りてきた。

それは、私と貴女の着物や体に、静かに、静かに降る。

疑問符を頭に浮かべながら、そっとそれを手のひらに乗せた。


「桜・・・?」

「あ・・・」


貴女が見つめる其の先には、桜の木がひっそりと花を咲かせていた。

風で花びらが飛ばされないと分からないような、人には気付かれにくいその場所で。




今が盛りと咲いている時には誰も知らなかっただろうに、

その花が散りゆく時には、『終わらないで欲しい』と願うのは

あまりに勝手すぎるだろうか。

最期にその命を舞わせるこの花を、『綺麗だ』と思うのは

あまりに酷いだろうか。



いつだったか、貴女が投げかけたあの質問が頭の中にふっと浮かび上がる。




『・・・貴方はこうやって咲き誇る桜と散りゆく桜、どちらが好きですか?』








私はあの時―・・・
















「・・・っくしゅん!!!!!!」

「なんだか肌寒くなってきましたねー。そろそろ帰りますか。」


いくら春とはいえ、日が傾く頃になると流石に寒くなる。

しばらく二人で花見をしていたが、もうそろそろお開きか。

思いっきりくしゃみをした彼女にに私の上着を被せて

かなり長居していた茶屋を後にした。



































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暫くたったある日。



「・・・どこいったんでしょうねー・・・。」


廊下を歩きながら腕に抱えているサイゾーに語りかける、が

ブギー!!!

と鳴くだけだ。(当たり前)

大抵台所の歩さんの手伝いか、それで無くばいくつか思い当たるところがあるのだが。

結局最終手段でさんの部屋に行ってみることにした。

部屋のふすまの前に立って一応中に呼びかけてみる。


「・・・さーん?居ないんですかー?」


中からはいくら耳を研ぎ澄ましても何の物音もしない。

自分の小姓といえど、女性の部屋に勝手に入るのは流石に気が引けたので

そのまま諦めて帰ろうと踵を翻したとき、あるものが目に留まった。


「(本・・・?)」


すっと身を屈めて襖の隙間から廊下に飛び出ていたそれを手に取る。

思ったより分厚く、本・・・というより資料のような装丁だ。


「(さんのかな?)」


正直さんは山南さん達とは違って、本を読んでいることなんて滅多にない。

珍しいなぁと思いつつ、私は無意識に表紙を開いていた。






































「・・・・・・・っ!?」







































































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夕闇が、辺りを飲み込んでいく。

景色が、闇に染まってゆく。







「・・・どこまで、本当のことなんですか。」


いつもの白い着物ではなく、浅葱色の隊服を纏い、刀を佩く。

今は、新撰組の沖田総司としてここにいる。

刀を向けた其の先の人間は、沈黙を守っている。


「・・・時間が、無いんです。」

早くしないと、他の隊士が嗅ぎつけてしまうかもしれないから。




そう言われて、背を向けたままだった貴女がゆっくりとこちらに顔を向ける。

その瞳は挑発するでも怯えるでもなく、ただただ真っ直ぐに私の目に注がれていた。




「・・・長人に兄を殺されたってのも、新撰組に入り込むための嘘、ですよ。歳も、何もかも。」

はっきりとした声、だった。

「・・・つまり全て偽りだった、と?」





ずっと、自分は騙されていたのだ。ずっと、狙われていたのだ。

何も知らずに。

自分でも驚くほど、低くて冷たい声色だった。

するとさっきまで無表情で淡々と話していた彼女が、少し寂しそうに目を伏せた。


「・・・最後までは、目を通さなかったのですね。」


手に持った一冊の本に視線が向けられる。

それが何を意味するかは分からなかったが、

よかった、と小さく呟くと彼女はそのままふらっと立ち上がった。

逃げ出すでもなく、一本の桜の木に歩み寄って太い幹を優しく撫るために。


「ね、沖田さん。私達が出会ったのはちょうど、此処でしたね。」



































だから、最期はまた此処で、お別れしましょう―・・・







































目の前の貴女は今までで一番綺麗に微笑んでいて。


私はただ自分の顔が歪みそうになるのを必死に堪えた。


暫く目を瞑った後、ゆっくり瞼を上げる。


私は、何を迷っているのだろう。


例え、何があっても


彼女は、私が始末する。


そう心に決めたはずだと。


そしてしっかり前を、貴女を見据えた。


ぎゅっ と刀を握る手に力がこもる。


大きく、ゆっくりそれを振り上げた。











































未だ冷たい春風に吹かれて、はらはらと地面に置かれた本がめくれた。

そして最後の一面が開く。








































「・・・貴方を、お慕いしております・・・」































































あの時の貴女の質問がまた、蘇る。





「・・・貴女はこうやって咲き誇る桜と散りゆく桜、どちらが好きですか?」





私はその答えを見つけることも、

それを貴女に伝えることも

結局、出来なかった。




でも、儚く散りゆくからこそ、人は桜を美しいと思うのだろう。

その瞬間に、いつかのあの姿を、思い出すからこそ。








散った後に気付く、桜の美しさは。






失った後に気付いてしまった、貴女への想いと似ていて。






あまりに自分が鈍過ぎたから。

あまりに自分が弱過ぎたから。











―何もかもが、遅すぎたから。





























だから


もう二度と取り戻せない、遠い過ぎ去りし日々を、



もう二度と見ることの無い、あの笑顔を。







































もう決して届くことは無い貴女への、この想いを。



































「大好きですよ・・・。」








































ただ春の夜の、桜に添えて。


























































































一枚、また一枚と桜が零れ落ちていく。


















 





 了